おとといの続きです。
沖縄のSMOKEというバーでジョニ・ミッチェルを聴いて、東京に戻ったら探してみようと思っていたら既にそのアルバムが家にあった、ということを書いたんですが、どこかで聴いていいなと思ったCDや聴きたいと思っていたCDがもう既に家の棚にあるという体験はこれが初めてではなくて、うちには友達の持っていたCDを保管している棚があるんですが、今回のジョニ・ミッチェルもその棚で見つけました。その棚で、聴きたいと思っていたCDを見つけたり全く知らなかったけれどめちゃくちゃ好きなCDを見つけると、もういない人と棚をはさんで会話してるような気がすることがあります。インターステラーという映画にも本棚が出てきますが、あの感じにも近いかもしれません。本棚をはさんで時間も場所も一瞬で飛び越えてしまうような。本棚とか引き出しの中にはいろんな時間が層のように積み重なっていて、そこから何かを手に取ったり何かを入れたりするのは、全然関係ない時間と時間をつなげたり、時間を切り取ったりすることに似ているのかもしれませんね。
左から右に(右から左でも下から上にでもいいですが)一本の線のようになって流れている時間のイメージがあると思うんですが、それはちょっと怪しいんじゃないかと思うことが時々あります。歴史の年表とか楽譜とかもパッと見一本の線になっていて、多分便利だからそうなっていると思うんですが、そういう一本の線とか川の流れのような時間のイメージよりも、本棚とか引き出しのような時間のイメージ(始まりと終わりがたくさんあって、そのどれもがでたらめにつながっているような感じ?)の方に親しみを感じることが多い気がします。
音楽を演奏してると、時間の長さが伸び縮みしたり、今いる場所がどこなのかわからなくなるということがたまにあります。多分、曲を演奏している間だけ川のような時間の流れからはみ出して、引き出しがたくさん集まったようなでたらめな時間の中に行っちゃってると思うんですが、音楽のそういう力というか作用というかに、とても興味があります。音楽の力、と言っちゃうとなんかちょっと嫌ですし、音楽のチカラとカタカナにするともっと怖いですね。音楽の作用とかいうと、それもまたなんか副作用がありそうで、まあ副作用はあると思うんですがなんか嫌ですね。なのでじゃあ仮にミュージック・パワーとしましょう。その、音楽を演奏することによって生じるミュージック・パワーによって、時間が伸び縮みしたり、場所とか空間がよくわからないものになっちゃう、そのよくわからない感じに、僕はすごく期待しているんだと思います。でも演奏中ずっとそういうことを考えていたらヤバいですし、ミュージック・パワー来い!と思ってる奴の演奏にはミュージック・パワー(以下MP)は宿らないと思うので、いつも普通に演奏しています。MPは目的ではなく、たまに突入するラッキーゾーンのようなものなのです。
京都にあるアバンギルドというライブハウスのステージ上も、とても静かでまるで死後の世界のような不思議な場所なんですが、今回はそこでアルバムを録音させてもらいました。ステージの上に立って照明も消して録音していると、時間も場所もだんだんよくわからなくなってきて、身体が勝手に動いて演奏してるのを、別の自分が上から見てるような不思議な感じがしてくる瞬間がありました。たぶんちょっと幽体が離脱気味だったのかもしれないですね。時間と場所がよくわからなくなる、というのはこの間書いた沖縄のSMOKEや弘前のASYLUMで演奏したときにも少しありました。家からそれはそれは遠いところで演奏してるんですが、歌ってる途中にそこが急に自分の部屋のように感じてきて、しかもその部屋が今の部屋じゃなくて、10年くらい前に住んでいた部屋のように感じるのです。それこそさっき書いた本棚の中身を入れ替えて、別々の時間がくっついちゃったような、へんな感じですね。その、ワシだれやねん!ここどこやねん!という状態は、決していやな感じがするもではないねん。少し怖くもあるけどそんなに怖くはないというか、少し安心もするというか、不思議な感じやねん。
何を言っているのかさっぱりわからない、という方は滝口悠生くんの新しい小説『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』を読んでみてください。僕はこの小説を読んで勝手にシンパシーを感じて、うおおおと唸って部屋の隅にうずくまりました。僕の言ってることと、この小説に書かれてることは同じじゃないかもしれませんがとにかくグッときました。よくわからないもののよくわからなさを、鮮度を保ったまま人に手渡すことができるのはすごいなあと心から思います。音楽もそうだと思いますが、よくわからない不確かなものがまず頭にワーっとあって、それをなんとかして形にしようとすると、なんかだんだんよくわかってきちゃって、あれ、なんかこれよくわからなくないな、わかるな、となってしまうことがありますが、この小説はそういうよくわからなさがよくわかってきちゃってないところがすごくグッときます。内容がよくわからないという意味ではまったくないです。
で、そんな滝口君が僕のアルバムについて文章を書いてくださったのですが、それが本当に嬉しくて、アルバム出ることより嬉しいくらいです。アルバム出ることも嬉しいですが。みなさま、ぜひ読んでみてください。
http://www.artuniongroup.co.jp/newtok/oonoyuuki/つづく